私の場合、思い出なんか美しくなるもので。
憎悪、嫌悪、憤怒さえも今の私の血肉と捉えれば、途端に愛おしくなるものです。
きらきらの思い出になったどろどろの過去は、
これから先更に艶々と研磨されることでしょう。
切り取り箇所を変えてみれば、
見るも聞くも驚愕するほど変貌するのは有名な話で、
時として角度を調節すれば、
怨念も愛、因縁は憂。
おとといポチった小さな鞄は、
君から貰ったお手紙を、
大事に大事に持ち運ぶための、
また数年越しに君に会える淡い期待。
などと言っていても、
きっと雑な私は、本来それを入れるはずだった場所に三つ折りのお財布などをぎゅうぎゅうに詰めて、
なんならもはや直接小銭を入れてコンビニに繰り出すことでしょう。
片手に持った缶チューハイも、
両手で支えた大きなグラスも、
経験として思い出として、たくさん重なるものがあるのです。
繰り返す動作には、
それだけ多くの思い出があって、
それがこれから先も続きながら、
艶々と研磨されることでしょう。