よわねはき。

綺麗な文章は書かないです。コトバオキバ。

かいぶつ。

 

 

ライブ終わりに箱の人と話していて、私は普通の人か?と言う話になって、メンバーに、わたしは“人間になろうとして人間の皮を被った怪物”だと言われた。なんそれ。慎ましく喜んどいた。高校生の時も、仲良い友達や先生には変って言われてた。嫌いな先生やかつての恋人からはきちんとしてるって言われてた。私、ぬるま湯みたいでしょ。長風呂は出来ないけど歯磨きは長いのよ。がおー。

ことば

 

 

人と関わるってことは

すごく楽しい事なんです。

 

色んな話が聞けて、色んな価値観を知って、色んなことを学べる。

色んな自分を知ってもらえて、色んな話が出来て、色んな支えになれる。

 

だから人と話すのは大好き。

 

 

 

なはずだったのだけれど。

 

 

 

色んな人と触れ合う度に、

この人は今こういう言葉が欲しいんだろうな。

この人は私とは違うけれどこうだから…

 

かけて欲しい言葉が見える。わかる。

だからかける。

でも自分が言いたい事は言えない。口から出てこない。

でもそれをかけ続けていると、この人は欲しい言葉をくれる人だ、と思われて、嫌な思いをすることが増える。

だからかける時とかけない時ができる。

かけなかった時、あぁ、私はなんて意地の悪い人間なんだと自己嫌悪に陥る。

でもかけるとどうせ傷付く。

 

こんなことが繰り返されて、人一倍1つの言葉に食らうダメージが大きくなった。

1つの言葉から10個くらいの、奥の想いが見えてしまうようになった。それが例え無いものでも。

 

疲れた。

 

このまま人が嫌いになるのかしら。

 

ならんけどね。

 

いつだって嫌いになるのは自分のそういうとこ。

 

だって誰も悪くないんだもの。

 

なんて。こんな気持ちを救ってくれるのも、

だれかの ことば なんです。

 

だから私もことばで、うたで、人を救える人間になるんだ。

 

だいすきだよ。

 

 

爪が可愛いだけで結構幸福度が増します。

今は爪にお花が咲いてるの。

髪の毛とか、爪とか、メイクとか、お洋服とか、アクセサリーとか、お部屋とかでルン!ってなれるの、いいよね。

 

身に付けるものには大抵 色 があって、

それによって身に付ける人自身の、人から見た印象とか、自分から見る気分とかも変わる。

 

今日はエメラルドグリーンの夢を見そうです。

おやすみ。

 

吐露

 

 

 

どうしようも無いことを どうにかしたい時、どうしようも無いからどうにもできないじゃないですか。

 

 

やりたいこと、叶えたいこと、守りたいものがそれぞれあって、その中でどうしようも無いことにぶつかった時、守りたいものを1番優先に考えるんです。 自分本位よりも誰かのために、の方が力が湧くから。

 

まー、でもそうやって動いた先には大抵望んでいた物や言葉は返ってきません。

大体はあぁ、報われないな、で終わるんです。

 

でも、報われないな、と思うって事は……、自分がやった事の対価を望んでたってことじゃんか、それって結局自分のためにしてたって事じゃんか、この人の為に、とか、この為に、ってやってたと思ってたことが実は結局自分のためだったんだ、なんて奴だ、私は。と。毎回自己嫌悪で終わるんです。終わるというか、蓄積されていく。

その自己嫌悪はドミノの板みたいにどんどん並べられていく。 それで、ちょんって触れる何かに会った時、全て崩れるんです。全部倒れて蓄積されたものが溢れてもう自分じゃどうしようもなくなる。自分が醜くて仕方なくなる。

 

でもその時って、自分の事をものすごく嫌いだとか、死にたいとか、思うのは一瞬で、どうせ死ぬのは怖いし、だからそういう時、“死にたいんじゃなくて消えたい。”って言う。

 

この言葉、結構見る。私も沢山思ってきたし言ってきた。自分が“在る”事と、“そこに在った”事を消し去るんじゃなくて、“元から無かった”事にしたい。そうすれば自分が受けた悲しみも苦しみも辛さも全部無かったことになるから。でも結局さ、私はここに居るわけで。それは消せない事実でどうしようもないことで、生きてるうちは生きたいんですよ、基本的に。 “死にたいんじゃなくて消えたい。” 死ぬのが怖いだけです。だって自分大切だもん。

 

 

突然ですがここで、私の特技の話をします。 これは最近、ここ数年で気付いた特技なんですが、物事を客観的に見るのがものすごく得意です。 これって結構、“物事を客観的に見るのが得意です。”って人に話すと褒められるんですけど、私の場合は物凄く得意なので意外と厄介です。めっちゃ厄介です。

 

何かを考えてる時。 2つの相反する意見が同じ力を持ってやってくる。

 

例えば ……

例えば……

 

いい例え出てこん……

 

まあいいや。適当に例えます。 Aという事象に対して、私は(あぁ……Bがいいなぁ……結構絶対にBがいいなぁ……)と思ってたとします。でも、そのAに対して①さんのCがいい!って意見があったとしたら、(あぁ、確かに自分が①さんだったらCがいいと思うし、①さんみたいな人がこの世にきっと何人もいるから、全体を考えたらCがいいのかもしれない……)とか考えちゃう、みたいな。

 

 

え。わかりにく。

 

まあいいや。(デジャヴ)とりあえずこの場合BとCっていう相反する意見が2つ脳内にいる訳ですよ。自分優先と、他人優先。 みたいなね、ことをね、何かある度に考えていて。誰かのためでありたい。けれど自分も大切にしたい。そうでなくてはダメになってしまう気がする。ていう考えばっかり。私の中で戦争ばっかり。結局選ぶのは他人優先の方なんです。理由は最初の方に述べたので読み返してください。(無理)

 

はい。こういった悩み。私だけじゃない、多くの人が持ってます。んで、相談するんですよ。

私は高校生くらいからずっとこうなので数々の人に相談してきました。 大抵の大人は、“自分がしたいようにしなさい”、“考えすぎだよ、もっと自分に自信持て”、“自分の意志がしっかりしてないからそうなるんだ”、と。言うんですよねーーー。

 

もう生きてる間に何度投げかけられたことか。

 

わかってんだよっ!

 

自分に自信持って、いい意味で自分勝手に生きれたらこんな悩みなんか持ってないよ。

 

 

大切な人が、できるのが怖い。

 

 

 

大切にしすぎるのが怖い。

 

 

 

だから大切な人が出来ると逃げてしまう。

 

 

 

これ以上大切にさせないで、私の事なんかほっといて、優しくされると大切にしちゃうから、愛しちゃうから、

 

 

永遠じゃないくせに。

 

 

絶対じゃないくせに。

 

 

当たり前なのにね、ばかみたい。

 

 

 

 

(リピート)

“幸せ”とは。

 

 

幸せって何?

 

って聞かれたらなんて答えますか。

 

私は、“この瞬間が永遠に続けばいいのにと思う時間のこと”と答えるのですが、当ってるくない?

 

これはハタチの時に満点の星空を見ながらそうだ!って閃いたんですけれど。

 

こういう事言うとサ、

 

じゃあさ!めっっっっっちゃお腹空いてる時にめっっっっっちゃ美味しいステーキ食べた時ってすっごい幸せだけど、永遠にステーキ食べたいとは思わないよ!!

 

みたいに言う子いるけど。

それ自体の行為じゃなくて、その時の感覚とか、感情とか、溢れ出たそれを幸せと言うのよ。

 

どうかしら。

 

まあ、だから何と言われても。

 

ことばおきばなので。

 

 

 

置き場です。

 

 

その名の通り。

 

最近は、3回以上聞き返されると言う気が失せること、夏の夜風に当たると自然と涙が出てくること、何も食べなくても体重が変わらないことに気が付きました。

 

撮りたいものじゃないものが映り込んじゃうカメラの画角みたいな、そんな毎日。

 

もうすぐ22歳。